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番組構成師 [ izumatsu ] の部屋

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「天空の大爆発〜赤いオーロラを追え〜」

◎『天空の大爆発〜赤いオーロラを追え〜』

制作:UMKテレビ宮崎  放送:2001.3.3

天空を彩る鮮やかな光の束、オーロラ。美しく、そして妖しげ。
まるで生きているかのように、夜空を舞台に舞い踊ります。

オーロラの中には、科学者でさえ目にしたことのない『幻のオーロラ』があるといいます。
それは、一度遭遇にしたら、決して忘れることのできない、血のしたたるような赤い色をしているそうなのです。

『グレート・レッド・オーロラ』と呼ばれる幻のオーロラを追って、雪や寒さにはまるで縁のない南国宮崎の取材班が、北極圏の街へ入ります。


◆番組の概要
[なんせ相手がオーロラ。映像がないと雰囲気がでませんが、流れをご紹介します]


『グレート・レッド・オーロラ』、幻の赤いオーロラを追う宮崎の取材班が入ったのは、スウェーデンの北部、北極圏に位置するキルナ市。
四国より少し広い土地に2万6000人ほどの人が住む静かな街です。オーロラが真上に出る街としても知られ、「オーロラ銀座」とも呼ばれています。

冬にはマイナス20度を軽く下回るキルナには、極寒の地ならではの名物があります。そのひとつがアイスホテル。ホールやバー、ビデオシアター、そして教会まで、氷で作られています。
極めつけは氷のベッド。トナカイの毛皮を敷き、寝袋にもぐり込んで眠ります。これで結構あったかいんだとか。

この年、キルナを訪ねる旅行者は例年を上回っています。オーロラが出る確率が例年より高いのです。旅行者の男性は・・・・、

「今年は特別な年だそうですね。太陽の活動が活発になるって聞いてます。明日晴れて、オーロラが見れたらいいな」

オーロラが出現するのは、太陽に原因があるのです。
なぜ、太陽なのか?

「太陽の大気がですね、地球の方向に飛んできて、地球の磁場につかまえられて、それがある時、地球に向かって飛び込んできて、地球の大気と衝突して、それで光る・・・・それ以上、簡単にならないですね(笑)」

キルナにあるスウェーデン王立スペース物理研究所の日本人研究者は苦笑しました。

地球は大きな磁石です。N極とS極を結ぶ磁気の力が常に地球を覆っています。これを「磁場」と呼びます。
この磁場の形を変える力が宇宙から働きます。太陽から吹いてくる風「太陽風」。その正体は「プラズマ」と呼ばれる電気の粒です。毎秒数百キロメートルものスピードで、常に太陽から吹き出ているのです。

この太陽風は膨大なエネルギーを持っています。そのため、地球の磁場は強引に形を変えられます。
そして、磁場の中に入り込んだ太陽風「プラズマ」が磁場の根元である極地付近で地球の大気にぶつかると、オーロラが発生する。そう考えられています。
ですから、北極だけではなく、南極にもオーロラは出ますし、どちらにも同時に、同じ規模のオーロラが見えているハズなのです。

オーロラを演出する太陽は、およそ11年ごとに活動が活発になります。「極大期」と呼ばれるこの時期には、大きなオーロラが出やすいことが知られています。『グレート・レッド・オーロラ』、幻の赤いオーロラも、この時期に目撃されています。
2000年から2001年にかけては、その太陽の「極大期」にあたるのです。

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取材班がキルナへ入って四日目。天候が穏やかさを取り戻した夜、突然オーロラが出現しました。あわててカメラを空に向ける取材班。

「よし、映ってる、映ってる」

見事な緑のオーロラが、取材班の頭上で優雅に舞っていました。

「すげぇ!」

南国宮崎の取材班。初めて見るオーロラに、仕事を忘れて大はしゃぎです。
でも、真のねらいは『グレート・レッド・オーロラ』。浮かれるの、早すぎ!

取材班を狂喜乱舞させた見事な、緑色のオーロラ。オーロラにはなぜ色があり、なぜ光るのでしょうか?
北極をはさんでキルナの反対側に位置するアラスカ・フェアバンクス。こちらは北米大陸の「オーロラ銀座」です。
フェアバンクスには、オーロラ研究の老舗であり、最先端でもあるアラスカ大学地球物理学研究所があります。この研究所の所長を長年務め、オーロラ研究の世界的権威が赤祖父俊一(あかそふ・しゅんいち)先生です。
先生は、オーロラの仕組みについて説明してくれました。

「オーロラっていうのは真空放電現象、その身近な例はネオンサインです。ネオンサインは細いガラス管を真空にし、ネオンガスをちょっと入れて作ります。で、そこに電圧をかけるわけです」

ネオンサインと同じ仕組みの放電管を作り、両端から高い電圧をかけてみます。すると、放電管にわずかに残っていた物質の原子や分子に電子が衝突してエネルギーが放出されます。その時に出る光が、オーロラの光なのです。

オーロラの色は、電子がぶつかる相手によって変わります。酸素にぶつかると緑、窒素にぶつかると青い光が出ます。取材班の頭上に現れた緑のオーロラは、地球の大気の中にある酸素が放っている光なのです。

美しい色を放つオーロラ、実は他の惑星、例えば木星でも見ることができます。地球のオーロラと違うのは、木星のオーロラは水素から出た色をしているということです。
赤祖父先生は、オーロラの色で宇宙人の存在も知ることができるかもしれないと言います。

「ある星にオーロラが出たとして、その中に酸素から出た光があれば、まず植物がいることは間違いない。動物がいるかどうかは別としてね」

酸素から生まれた緑のオーロラ。それは、その星に生命が存在する可能性を秘め、輝いています。

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1957(S32)年、日本初の本格的なオーロラ観測が行われようとしています。場所はオーロラのメッカ、北極圏ではなく、南極でした。
東大名誉教授の中村純二先生は、その時、オーロラの観測を担当しました。

「日本で初めての観測だったので、緊張してまいりました」

昭和基地でのオーロラ観測。第一次、第二次は悪天候のため断念。1959(S34)年、越冬隊員として参加した第三次でオーロラ観測を敢行。最初は失敗の連続でした。

「寒くなるとカメラが動かなくなるんですね。それでドライヤーで温めるんですけど、ドライヤーも動かないんですよ。それで一度建物の中に入ってカメラを温めて。でもその時にはオーロラがもう消えてしまうんです」

中村先生は苦心を重ね、1959年、日本人として初めてオーロラの撮影に成功します。

「なんかこう、巨人が息をしているようなね、あるいは大交響楽を聴いているような感じですね。明るい時には外で新聞が読めるぐらい明るいオーロラが出ました」

この時、先生は『グレート・レッド・オーロラ』、幻の赤いオーロラをフィルムにおさめています。

「もう、全天真っ赤なんですね。それが朝まで続いて、もう隊員、私だけじゃなくて越冬隊員全員が感動してながめておりました」

1959年。この年は太陽の「極大期」にあたります。太陽風が吹き荒れるこの時期に、やはり赤いオーロラが出現していたのです。

1959年の南極でのこの記録が、オーロラに関する日本で最初の記録ではありません。720年に編纂された、日本最古の歴史書とされる『日本書紀』。その中にオーロラは「天に赤気あり」という表現で登場しています。
他にも数多くの記録が残されていますが、中でも目を引くのは『星解(せいかい)』という書物。そこには赤いオーロラが色鮮やかにスケッチされています。
1770年9月17日に出現したこの赤いオーロラは、北海道から京都、さらには長崎でも見えたといいます。そのあまりの明るさに、大火事と間違えたという記録が残っているほどです。

実は日本で見ることのできるオーロラは、そのほとんどが赤い色をしています。それはオーロラが出る高さに秘密があります。
300キロから500キロの高さがあるオーロラ。そして、その一番下の方でも、地上からおよそ100キロ、飛行機が飛ぶ10倍の高さがあります。
前出の赤祖父先生は・・・・、

「赤いオーロラっていうのは非常に高いところに出るわけ。300キロから上くらいに。そのために、その赤いオーロラの上の方が、北海道の地平線からちょっと顔を出すと」

1989(H元)年10月21日。赤いオーロラが北海道で観測されています。北海道陸別町で星の観測をしていた男性は、この赤いオーロラに遭遇しました。

「北極星を見ていたらですね、ユラユラ、赤いのが動き出したというかね。目の前は、こう、赤くなってるんですね。それで非常にびっくりして。血の赤のよう なね、本当に濃い赤が動いてましたから、やぱり不気味な感じ。でもその中に、すごくきれいだなっていうのはありました」

科学者の間では、1989年は赤いオーロラが数回にわたって観測された年として知られています。3月12日にはアラスカ・フェアバンクスが真っ赤なオーロラに覆われました。コテージを経営する女性は、その色に驚きました。

「まるで血のように真っ赤でした。普通のオーロラは天を自由に動くんだけど、赤いオーロラは違います。まるでエアブラシで塗ったような色なんです」

アラスカ大学でオーロラの研究をしている男性は、電話の対応に追われました。

「赤いオーロラを見た人たちが、どこかで大きな火事が起こってるに違いないという電話です。南メキシコからも電話がきました。赤いオーロラを見て、大きな戦争か何かが起こっているのではないかと考えたんです」

『グレート・レッド・オーロラ』、幻の赤いオーロラは、赤一色。揺れ動くこともなく、静かに全天を赤く染めていくといいます。赤いオーロラが出る理由を、オーロラ研究の権威・赤祖父先生に説明してもらいました。

「普通のオーロラは緑っぽい色、これは酸素からです。赤い色、実はこれも酸素から。なぜ酸素がそういうふたつの光を出すかというと、叩き方によるんです。酸素電子を強く叩くと緑の光が出る、弱く叩くと赤い色が出てくる」

酸素にぶつかる電子のエネルギーが高いと緑の光。エネルギーが低いと赤い光が出ます。同じ酸素から、緑と赤、違う色の光が出ます。では、それはなぜなのか? 実はまだわかっていないのです。

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スウェーデンのキルナでねばる取材班。頭上には連日オーロラが現れます。でも、それは緑色。赤いオーロラは姿を見せる気配はありません。

専門に研究している科学者でさえ、一生に一度、見ることができるかどうかと言われる赤いオーロラ。本当に出ることがあるのでしょうか?
キルナの人たちに尋ねてみます。
まず、男の子とお母さんのふたり連れ。

「赤じゃなくて、緑と黄色だよ」
「緑や黄色が普通の色よね」

年輩の女性は?

「黄色いのがよく出るわ。時には緑で、青で。赤くはないのよ」

「赤いオーロラ? 見たことないわよ」
「私もないわ」

子供も、母親も、老人も、誰も赤いオーロラを見たことがないと言います。不安になった取材班は、北極圏の民・サーメ人に会いに出かけました。
サーメ人は遠い昔、北極圏に住み着き、以来、厳しい大自然の中でトナカイを放牧しながら暮らしてきた民族です。
サーメの夫婦にオーロラについて尋ねてみます。

「オーロラを見ると、いい気分になるなぁ」
「きれいだなって思います。小さい頃はオーロラに向かって、大きな声で叫んでました」

夫は、オーロラについての言い伝えを教えてくれました。

「指をさして『リップリップ』と言うと、オーロラに連れて行かれるんです」

自然と共に生きてきたサーメの人たち。この人たちなら、赤いオーロラを見たことがあるに違いありません。

「赤? 見たことないですね。いろいろな色が混ざったオーロラは見たことがありますが、赤いのはないです」

先祖代々、この極寒の地に暮らすサーメ人でさえ、『グレート・レッド・オーロラ』、赤いオーロラを目にしたことはないと言います。
幻の赤いオーロラ。それほどまでに姿を現さないものなのでしょうか?

がっくり落ち込んだ取材班の前に、ひとりの日本人研究者が現れました。国立極地研究所の江尻全機(えじり・まさき)教授。江尻教授はオーロラを撮影するため、キルナを訪れたのです。
江尻教授は取材班が待ち望む赤いオーロラに遭遇したことがあります。1989年、南極観測隊の越冬隊隊長として、南極で厳寒の冬を過ごした時のことです。

「ものすごい、真っ赤なオーロラが出たんですね。非常に荘厳というか、華麗というか。やっぱり赤いオーロラっていうのは、そういうのを感じますね」

教授は南極で観測用ロケットをオーロラの中へ打ち上げました。データを収集するためです。でも、データを分析すればするほど、オーロラの謎は深まるばかりでした。

「もうダメだぁっていう感じですよねぇ、いや、とても解明できっこないなぁっていう。オーロラのどっか一側面だけでも理解できたら、もうそれで満足するの かなぁって思ってますけどね。それほど難しいっていうか、複雑な現象で。まぁ、それだけ人を魅了するのかもしれないですけどね」

いまだ解明されていないオーロラの謎。でも、その出現は予測することが可能です。
地球の磁場に作用してオーロラを生み出す太陽風、プラズマ。太陽から吹き出されると、二日間ほどで地球に到着します。
太陽の爆発を注意深く観測すると、いつ、どのくらいのエネルギーが地球にやってくるかが、ある程度予測できるのです。

夜空に現れる可能性を予測することはできるオーロラ。でも、それはあくまで可能性。それも二日先までです。
実態を見せず、出現さえさとられない赤いオーロラ。南国宮崎の取材班は、果たして『グレート・レッド・オーロラ』、幻の赤いオーロラと遭遇することができるのでしょうか?

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取材班がキルナへ入って三週間が過ぎました。
江尻教授にオーロラ撮影のコツを尋ねます。

「何しろ、めったやたらに露出時間をかえて、何枚も撮っとくと。そん中で一枚、二枚、いいものが出ると」

「下手な鉄砲も数撃ちゃあたる」
それがオーロラの達人の教えでした。

オーロラの観測は天候、雲のあるなしに左右されます。この日、あいにく北極圏には大きな雲がかかっています。でも江尻教授は言います。

「学者がこういうことを言っちゃいけないんですが、天を自分の味方につけるって言うんですか(笑)」

夜、オーロラの観測が始まりました。オーロラは出るのでしょうか。そして、幻の赤いオーロラは?

零下20度を下回る戸外でのオーロラ観測。ただひたすら、待つだけです。
江尻教授に同行してきたふたりの女学生は、今日が最終日。寒さに耐えつつ、夜空を見上げています。

「オーロラ、見たいですよね」
「見たい」
「今日は絶好のチャンスみたいですけど?」
「あきらめません、2時までは」
「でも、自然なんで、出たらラッキーっていうくらいで」

そこにオーロラが見え始めました。緑色のオーロラです。

「すごい」
「だんだん大きくなってる」
「見えたぁ」
「わぁ、やっと見えた」
「やったねぇ」

頭上のオーロラに感嘆の声をあげる女学生たち。
今、見えているオーロラは、遠くグリーンランドからカナダへとつながっています。地球をぐるっと取り巻いているオーロラ。ここで目にしているのは、そのほんの一部なのです。雄大なスケールに、圧倒されるばかりです。

「最終日なんで、ほんとよかったです」
「全然、ナマがいいですね、やっぱり。あ、大きくなった」

観測最終日の学生たちを見送るように舞ったオーロラ。
でも、赤いオーロラはこの日もまた幻のままでした。


全く顔を見せない赤いオーロラ。取材班は、なかばヤケ気味で雪とたわむれます。昼の間はすることがないのです。

深夜、窓の外を見ると、大きなオーロラが出ています_B待ちに待った赤いオーロラでしょうか? あわてて飛び出す取材班。夜空を見上げます。
一部がほんのりと赤く染まっています。でも、その他は緑色。『グレート・レッド・オーロラ』、全天を真っ赤に染めるという幻の赤いオーロラはついに姿を現しませんでした。

後ろ髪を引かれる思いで帰国する取材班。いちるの望みを託し、スウェーデン王立スペース物理研究所の日本人研究者にデジタルカメラを預けました。

そして・・・・。
取材班が宮崎へ戻った数日後の、2000年4月7日午前零時。
キルナ市の南東の空を赤く染め始めたオーロラは、ゆっくりと天頂へと広がっていきました。

天空で舞うこともなく、全天を真っ赤に染めていく赤いオーロラ。
幻とされるその姿を、ついに映像におさめることができたのです。
この日、観測された赤いオーロラは、1989年に次ぐ、大規模なものでした。


赤祖父先生は、オーロラの魅力をこう語ります。

「やっぱり、オーロラっていうのは、自然現象の中で一番美しいですよね。こんなこと言うと、他の人に叱られるかな(笑)」


見る人の心をとりこにするオーロラ。それは地球と太陽の絶妙なバランスが生み出す、自然界究極の芸術作品です。
緑、赤、そして時には全天を赤く染めるオーロラ。その数々の色は、地球に空気がある証拠でもあります。
もし、オーロラの色が変わったら・・・・それは地球から生命が失われる時でもあるのです。

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◆制作の思い出

オーロラの淡い光をどうすればカメラにおさめることができるか。それが一番の問題でした。人の目には鮮やかに見えても、映像にできなければ番組にはなりません。

カメラマンはじめ技術スタッフはハイビジョンカメラなど、数々のカメラを試し、取材に備えました(実際にオーロラの美しさを一番とらえていたのは、一般用のデジタルカメラだったようです。技術に疎いぼくには、なぜだかよくわかりませんが)。

オーロラを研究している専門家にお話を聞いたのですが、正直言ってそのすべてを理解できたとはとうてい言えません。
ぼくらにわかる範囲の話を、見ている人たちにもわかってもらえるよう、映像や図解を入れて工夫しました。

取材陣はスウェーデンの北極圏からアラスカへと、極寒の中、体力の消耗戦を続けました。よりよい取材場所を求め、腰まである雪の中、カメラや三脚をかかえて進む南国宮崎の取材陣。のほほんと暖かい気候に育った身には、かなりつらい取材だったようです。

宿泊したコテージは暖房あれども寒く、ガラスには雪の結晶がびっしりとひろがります。洗濯してバスルームに干していた靴下が凍り、手のひらに立つほど。
オーロラの美しい映像は、取材班のねばりのたまものです。


『グレート・レッド・オーロラ』、幻の赤いオーロラには直接出会うことはできませんでしたが、スタッフが撮影してきた数々のオーロラの映像は、他のどの番組に登場するオーロラよりも美しいと断言できます。
この美しい映像が、もう放映されることもなく、局の倉庫で眠り続けるのかと思うと、惜しくてなりません。

(2003年10月記)




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